どのように決められたか、という「手続き的公正」
われわれは集団で何らかの意思決定を行う際に、なるべく公平で正しい結果を得るために努力する。こうした公正(justice)は、社会的秩序を支える重要な概念の1つである。「決定は公正である」と感じることは、事後の心理や行動に大きな影響をもつが、こうした公正感は2つの要因で決まる。それは「どのように決められたか」という手続き的公正と、「どんなものに決まったか」という分配的公正である。前者は決定のプロセスに注目しており、後者は決定の結果に注目している。本研究で扱われているのは前者の手続き的公正である。手続き的公正がきちんと果たされている、という感覚を抱くと、人はその決定を受け容れやすくなり、集団に対して協調的な態度をとる。
「手続き的公正」感を規定する要因:説明責任と丁重さ
人がこうした手続き的公正感を抱くに至る要因には様々なものが考えられるが、本研究で注目しているのは、手続きの運用を任された権威者による対人的要因である。つまり、決定を下し、それに従うことを求める権威者が、従うべき相手にどのような形でそれを伝えるか、同じ決定を伝えるのでも、伝え方によってそれを公正だと感じられるかどうかが変わる、という観点だ。1つは決定に至る手続きの内容を誠実に伝える「説明責任」であり、もう1つは伝える相手を尊重していることを態度にあらわす「丁重さ」である。
決定は、時にそれに従うべき相手にとって不服な内容の場合もある。それでもある程度納得して従うことを求めるならば、なぜその決定に至ったかを詳しく説明すること、つまり説明責任を果たす(果たした、と相手が受け取れる)ことが有効に機能することが考えられる。また、同じ内容の決定を聞くのでも、従うべき立場である自分が尊重されていると思えれば、つまり権威者が丁重な態度で接していると感じられれば、心理的に受容しやすいだろう。こうした対人的要因は、裁判員制度の導入によって、裁判という集団による意思決定の現場に、一般市民が権威者のひとりとして関わるようになった現代社会において、特に注目されるべきものとなっている。なぜなら、裁判員制度というのは、これまで裁判官という権威を備えた法曹の専門家によって決定されていた判決に、市民感覚を取り入れるという名の下に「素人」を関わらせる制度であるからだ。判決がいかに不服でも、法のプロ集団による決定なら不承不承でも納得しようものが、法のことなど何も知らぬだろう裁判員がそれに関わっているとすれば、その公正さへの疑念を払拭しにくいかもしれない。裁判員の専門性を云々することはできないので、決定の伝え方、すなわち対人的要因について検討する価値は高い。
著者は、これまでにも数多くの「手続き的公正」に関する研究を手がけてきた(例えば、今在・今在(2009)や今在・今在(2010)など)。本研究の新しさは、これまでは質問紙調査によることが多かった実証のアプローチに、実験的手法を持ち込んだところにある。具体的には、刑事事件に関する裁判員裁判場面を擬した、弁護士役の実験参加者が裁判員役の伝達者(同じく実験参加者であると教示するが、実際は存在しない)から判決に関する判断を伝えられ、その内容について話し合う場面を設定して、伝達者が説明責任を果たしている程度を発言に含まれる情報量の多寡で、丁重さを言語上の表現の違いで操作し、実験参加者が抱く手続き的公正の感覚を測定した。2つの実験がおこなわれ、手続きはほぼ同じだが、実験2では、実験参加者が判断根拠に注意を向けるよう働きかけるため、メモを取りながら聴くよう指示している。
真剣に考えると説明責任が気になり、丁重さはそれほど気にならなくなる
Figure 1が実験1、Figure 3が実験2の主要な結果である(いずれも論文から引用した)。手続き的公正感の得点は1~5で、点数が高いほど公正だと感じていることを指す。伝え方の要因の、説明責任(簡略と詳細)と丁重さ(平語と敬語)各条件では、裁判員は下のような発言で話し合いの口火を切っている。
敬語・詳細条件:「こんにちは。こちらには犯人と事件、過去の判例などが書かれたメモがあります。これを見るとやはり懲役10年で構わないと思います。」
平語・詳細条件:「こっちには犯人と事件、過去の判例などが書かれたメモがあるけど、これを見るとやっぱり懲役10年でいいんじゃない?」
敬語・簡略条件:「こんにちは。やはり懲役10年で構わないと思います。」
平語・簡略条件:「懲役10年でいいんじゃない?」
実験1と2で結果はやや異なっている。実験1では丁重さの影響が見られ、敬語で伝えられた場合の方が手続き的公正感が高かったのに対して、説明が簡略か詳細かによる違いは見られなかった。実験2では逆に、実験参加者は伝達者の丁重さの影響を受けなかった一方で、詳細な説明が手続き的公正を感じやすくさせていた。著者は、この結果を、実験参加者が判断を精査するように求められているかどうかで、得られる情報を処理するスタイルが異なるため、どちらの対人的要因が効果を持つかに違いが見られたものだと解釈している。つまり、よく考えなければならないぞ、と真剣に考えて臨んでいれば伝達された内容に注意が向き、そうでもなければ内容とは関係のない、表面的な人当たりの良さなどに注意が向きやすい、ということだ。説得に関する社会心理学研究では、前者を中心的認知処理、後者を周辺的認知処理と称している。
冒頭で述べたとおり、社会的秩序の維持にとって公正は、さらに言えば「公正であると感じる」ことは重要である。本研究は、こうした公正の感覚に、伝達者と被伝達者の心理的要因が深く介在していることを実験的に示したという意味で、大変興味深いものである。
(Written by 三浦麻子)
今在慶一朗氏へのメール・インタビュー