罪悪感を抱くと“埋め合わせ”をする
あなたはあるプロジェクトに参加している。翌朝、プロジェクトの成果に関する重要なプレゼンを任されている。しかしあなたは、映画を観て夜更かしをしてしまった。翌朝、目が覚めて時計を見たら、プレゼンの時刻はとっくに過ぎていた。寝坊をしてしまったのだ。急きょ、あなたの代わりに他のプロジェクトメンバーがプレゼンを代行することになった。
これはあくまで架空の話だが、このような事態が起こったとしたら、あなたはきっと罪悪感を抱くことだろう。さて、この話には続きがある。
プレゼン後、プロジェクトメンバーでディナーに出かけた。お会計を済まそうとして、各自が注文した分の金額を出し合ったが、総額に9ドル足りなかった。誰かが余分にお金を出さなければならない。
このようなとき、あなたなら何ドル出すだろうか? これは本論文内でも引用されている、Cryder, Springer, & Morewedge(2012)の研究で実際に提示されたシナリオである。罪悪感が強いほど、失敗を補償するように支出が大きくなることが判明している。
“埋め合わせ”資源の捻出先に関する選択肢
では以下の例ではどうだろう。
あなたが友人Aから借りた自転車が盗難に遭ってしまった。あなたは友人Aと別の友人Bのために、誕生日プレゼントを買おうとしていた。所持金は5000円だった。さて、あなたはそれぞれの友人のために、いくらのプレゼントを買うだろうか。また、手元にいくら残しておこうとするだろうか。
著者らは本論文内で、上記のようなシナリオを提示した(紙面の都合から、概要のみ抜粋した。なお以後は論文内の表記に従い、あなたを“加害者”、友人Aを“被害者”、友人Bを“第三者”と呼ぶことにする)。このように、罪悪感の対象ではない第三者が存在するとき、加害者がどのような行動をとるかについては、十分に検討されてこなかった。実は第三者が存在しても、加害者の罪悪感が強いほど被害者への補償は大きくなる。ただし重要なのは、そのための資源はどこから捻出されるか、である。オランダにおける先行研究によれば(De Hooge, Nelissen, Breugelmans, & Zeelenberg, 2011)、罪悪感が喚起された事態とは無関係な第三者への分配額が減らされ、加害者自身が手元に残す金額は変わらなかった。一方でルーマニアにおける先行研究では(Rebega, Benga, & Miclea, 2014)、罪悪感が喚起されても第三者への分配額は変化することなく、加害者自身が手元に残す金額が減った。これらの対立する知見は、どのように整理することができるのだろうか?
キーワードは「関係流動性」
著者らは、(1)「被害者への補償を加害者自身の資源から捻出すること」を自己罰と定義すること、(2)それぞれの研究が行われた社会の関係流動性が異なる点に注目すること、の2点により説明できると考えた。論文中における著者らの説明を拝借すると、関係流動性(Relational mobility)とは、人々が必要に応じて新しい人間関係を選ぶために所定の社会または社会的文脈の中で持ちうる機会の程度を表す概念である(Yuki et al., 2007)。例えば、正社員のみで構成された職場と、アルバイトスタッフが多い職場を比較してみよう。相対的に前者は構成員が固定されやすいのに対して、後者は構成員の入れ替わりが激しいと考えられる。前者では、馬が合わない相手とも否が応でも顔を合わせざるを得ない。つまり人間関係を選択することが比較的難しい、関係流動性の低い職場であるといえる。一方で後者では、馬が合わない相手を避けてシフトを組むことや、アルバイト先を変えるという対処が比較的容易であるため、関係流動性の高い職場であるといえる。
関係流動性と被害者への補償には、どのような繋がりがあるのだろうか? 関係流動性が低い社会では、新しく人間関係を構築する機会が少ないため、加害者が被害者と長期的な関係を維持するために、関係修復に真摯であることをアピールする必要がある。したがって、自己罰を伴う補償が行われやすいと考えられる。一方で関係流動性が高い社会では、必要に応じて新しい人間関係を構築しやすいため、周囲の他者への関心が低い。よって被害者への補償は第三者から捻出されやすいと考えられる。各国の関係流動性の程度を測定した先行研究等を参考に、著者らはオランダを相対的に関係流動性が高い社会、ルーマニアを相対的に関係流動性が低い社会と定義した。この定義により、対立する先行研究の知見が整理できるのである。
関係流動性と被害者への補償の関係を検証するために、著者らは日本で追試を行うことにした。歴史的な経緯からも明らかなように、日本社会は関係流動性が低い。調査の結果、ルーマニアにおける先行研究と同様に、自己罰を伴う被害者への補償が確認された。さらに著者らは、日本国内でも関係流動性には個人差が存在することにも着目し、罪悪感が喚起された事態において、被害者に対して自己罰を伴う補償を行うのは、関係流動性が相対的に低い加害者に限ることを示した。以上の結果は一貫して著者らの仮説を支持している。
唯一著者らの予測と異なったのは、関係流動性が相対的に高い加害者は、罪悪感を喚起されても自身や第三者に対する分配額を変化させなかったことである。この結果について著者らは、日本は国全体としては関係流動性が低い社会であることが影響していると考察している。個人の関係流動性が日本国内では相対的に高くても、世界的に見れば低かった可能性がある、というわけである。
以上の通り本研究は、加害者から被害者への補償行動には、当事者を取り巻く社会生態学的な要因が影響している可能性を明らかにした。
第1著者・古川 善也(ふるかわ よしや)氏へのメール・インタビュー