能力は変わるもの?変わらないもの?
能力は努力によって伸ばせるものなのか、それとも生まれながらに変わらないものなのだろうか。暗黙理論研究では、「能力は努力によって伸ばすことができる」という信念(増加理論)を持っている人は、「能力は固定的で変わらないものである」という信念(実体理論)を持っている人よりも、適応的であるとされてきた。
例えば、自分が失敗した場面を考えてみよう。実体理論を持つ人は、どのくらい能力を示せたかを重視するため、失敗したという結果に対する満足度が低く、ネガティブな感情を抱きやすいだろう。一方で、増加理論を持つ人は、失敗や成功に関わらず、どのくらい努力したかを重視するため、失敗してもネガティブな感情を抱きにくいだろう。
また、自分が失敗した場面だけでなく、他者が失敗した場面においても、暗黙理論は影響を与えている。親、教師、上司といった評価者が、増加理論を持っている場合は、実体理論を持っている場合よりも、評価される側(子ども、生徒、部下)に良い影響を与えることが知られている。例えば教師を対象にした研究では、実体理論を持っている教師は、増加理論を持っている教師よりも、年度初めに行われた数学のテストで低い点数を取った生徒に対して、その生徒の能力を低く評価し、慰めたり宿題を減らしたりといった成績向上に結びつかない行動をしやすいことが示されている。
リーダーシップ研究においても、集団のリーダー(評価者)が、集団成員(評価される側である他のメンバー)の失敗を、努力不足によるものだと考える場合は、能力不足によるものだと考える場合よりも、その成員の将来に対する期待が高いとされている。
増加理論を持つリーダーが常に良いのか?
これまでの研究においては、増加理論を持つリーダーが適応的であるとされてきた。しかし、常にそうだろうか?
いろんな仕事をリーダーが集団成員に割り振り、それぞれの成員が別の仕事をしている場面を考えてみよう。ある成員が自分の担当している仕事を失敗した場合、増加理論を持っているリーダーは、努力に注目して評価し、その成員が努力し続ければいつか成功すると考えるだろう。一方、実体理論を持っているリーダーは、結果に注目して評価し、その成員にはその仕事は向いていないと考えるだろう。
失敗しても努力を前向きに評価することや、諦めずに努力し続けるように励ますことは、個人のその仕事の成績を向上させるためには良いことだろう。しかし、集団全体の成績に注目してみるとどうだろうか?「適所適材」「向き不向き」といった言葉があるように、失敗した成員よりもその仕事が得意な別の成員がいるかもしれない。失敗した成員にその仕事を続けさせるよりも、(その仕事が得意かもしれない)別の成員に交代させた方が、集団全体の成績の向上に繋がるだろう。また、集団における成員一人一人の評価を考えた場合、努力という見えないものに注目する、増加理論を持つリーダーの評価はあいまいで主観的なものになる可能性がある。失敗した本人の「努力した」というアピールを鵜呑みにして、評価を上げてしまっては、評価が不公平なものになり、集団全体の不満に繋がるだろう。
このように、集団の成績に注目した場合、増加理論を持つリーダーよりも、実体理論を持つリーダーの方がポジティブな影響を与えることがあるかもしれない。
リーダーが与える評価や将来の期待
本論文では、「リーダーの持つ暗黙理論」と「失敗者の努力アピール」 が、リーダーの与える評価や将来の期待に与える影響を検討している。
参加者は、2人の共同参加者A,Bと3人チームで課題に取り組み、課題の成績によってチーム全員に同じ額の報酬が与えられると説明された。取り組む課題は「アイディア創出課題」というもので、表示されたテーマの本来とは異なる使い方のアイディアを1つだけ提出し、そのアイディアに対して得点がつけられる。例えば、「テーマ:マグカップ」に対して、「ペン立て」「植木鉢」などのアイディアを提出する。
実際には2人の共同参加者はおらず、参加者は1人でPCの前に座って実験に参加した。課題の前に、「課題遂行者」と「差配者」(課題遂行者に課題を行う時間を割り振るリーダー)に割り当てられた。参加者は差配者に、AとBは課題遂行者に割り当てられるようになっていた。課題は2つのセッションに分かれ、第1セッションではAが1人で5分間課題を行い、第2セッションではAとBが2人で合わせて10分間課題を行う。差配者の仕事は、第1セッションのAの得点を見て、第2セッションでAとBがそれぞれ課題を行う時間を割り振ることである。第1セッションではAが低い得点をとり失敗するようになっていた。Aの得点が表示された後、Aのアンケートの結果として、半分の参加者には「いろいろなアイディアを書き出し、制限時間いっぱい考えた」という内容の努力アピールを提示し、もう半分の参加者には提示しなかった。
実験の結果はとても興味深いものである。
まず、増加理論を持つ差配者は、失敗したAに努力アピールをされた場合の方がされない場合よりも、Aを高く評価していた。一方で、実体理論を持つ差配者は、努力アピールされた場合とされない場合で、失敗したAに対する評価に差がなかった。このことから、増加理論者は努力に注目して評価し、実体理論者は能力に注目して評価していたといえるだろう。
次に、差配者が増加理論者であるほど失敗したAに、実体理論者であるほどBに、第2セッションで課題を行う時間を長く与えていた。しかし、この時間配分の違いは、増加理論者の方が実体理論者よりも、失敗したAが今後高い得点を取れると考えたからではなかった。増加理論者も実体理論者と同じように、第1セッションで失敗したAは、第2セッションでもあまり良い得点は取れないだろうと考えていたのである。
では、何によって第2セッションの時間配分が異なったのだろうか。それは、まだ課題を行なったことのないBがどのくらいの得点を取れると考えていたかによるものであった。増加理論者は、実体理論者よりも、Bは良い得点を取れないだろうと考えることで、失敗したAに引き続き同じ課題を長く行わせたのである。
これまでの暗黙理論研究では、増加理論を持つリーダーが適応的であるとされてきた。確かに、一度失敗したからといってすぐにその仕事から外してしまうのではなく、将来の成長を見据えて諦めずに努力し続けるように励ますことは、個人の成長にとって良いことである。しかし、個人ではなく集団のパフォーマンスに注目した場合、増加理論を持つリーダーは、ある成員の失敗によって、他の成員も同じように失敗するだろうと考えてしまう可能性があることが、実験の結果によって示された。
これはこれまでの研究とは異なる方向性を示した面白い結果であろう。興味を持った方はぜひ論文も読んでみて欲しい。
村本 由紀子氏へのメール・インタビュー