ある漫画では,24時間のみ許される外出において主人公がグルメや観光に興じる姿が描かれる。彼は,これまで積み重ねた外出の経験を活かし,外出初心者に外出時の楽しみ方を教えもする。実際の様子はその漫画を読んでいただくとして,主人公と外出初心者との歴然たる差は単純な知識量の差だけに留まるのであろうか,それとも知識の蓄積とともに何らかの認知の変化が起きているのであろうか。
旅行熟達者と初心者の違いを理解することは,社会的にも意義深い。地方都市にとって,観光資源を活用した観光政策は,地域活性化の重要な方策となっている。その中で,誰をターゲットにするか,どのように観光客のニーズを満足させるかに実施者は頭を悩ませ,ユニークなツアーや観光誘致を発案・実践している。旅行初心者と旅行熟達者とで,どのような違いが存在するのか,旅行における判断基準としてどのような基準を用いているかは,観光政策を立てる上での重要な情報の一つとなる。
では,旅行熟達者と旅行初心者の違いとは何か。本論文では,旅行熟達者の特徴として,「下位技能の習熟」,「適切な問題解決のための知識の獲得」,「適切な評価基準の獲得」を紹介し,その中でも適切な評価基準の獲得に注目して検討を行った。具体的には,旅行経験の多寡によって生じうる観光地に関する認知構造や観光地のイメージの違いを検討した。
本論文では,旅行熟達者と旅行初心者の差異の一つとして,判断次元の違いが示された。様々な観光地10ヶ所の類似度評定に基づく多次元尺度構成法による分析の結果,10ヶ所の観光地は,「北―南」および「山中―海岸」と解釈される2次元に各観光地がプロットされた。そして,旅行熟達者は,旅行初心者と比べ,「南―北」次元の重みが小さく,「山中―海岸」次元の重みが大きかった。すなわち,旅行熟達者は,旅行経験の蓄積に伴い,観光地がどこにあるという地理情報だけではなく,その観光地にどのような特性があるかの認識を強め,利用していることが推察された。
また,旅行経験と観光地への訪問の有無の組み合わせから,各観光地のイメージ評定の比較も行われた。例えば,札幌のイメージを見てみると,訪問経験のない旅行初心者や準上級者は,札幌を都会的な雰囲気とは比較的考えておらず,訪問経験のある人は都会的な雰囲気と考えているという結果が示されている。また,有意な差は示されていないものの,札幌に対する豊かな自然のイメージは訪問経験の有無でさほど変わらず,むしろ訪問経験がある方が低い場合もあった。札幌への訪問経験のない人は,札幌(というより北海道)が積極的にPRしている大自然をイメージしているが,中心部に行ってみると意外と都会であることを目の当たりにし,認識が変化しているのかもしれない。実際,かの有名な時計台は,あたかも自然に囲まれているかのようにPRされているが,実際には周りにビルが立ち並んでいる(札幌あるある)。その他にも,観光地6ヶ所のイメージ評定の比較が行われており,様々な読み取り方が可能である。本論文で言及されている結果と考察を踏まえて,データを眺めることで,データを味わうことができるであろう。
なお,本論文では,旅行経験によって調査協力者を「旅行初心者」「旅行中級者」「旅行準上級者」「旅行上級者」の4つに分類している。これらのカテゴリーの平均年齢を見てみると,旅行初心者が約30歳,旅行中級者が約52歳,旅行準上級者が約38歳,旅行上級者は約62歳であり,本論文のカテゴリーは年齢順に旅行熟達者になっているわけではないことが興味深い。このことは,出張の多い職業であることなどの社会的要因によって,旅行熟達者になる人とそうでない人が分化されていくことを示しているのかもしれない。
以上のように,本研究は旅行熟達者と旅行初心者の比較を通して,旅行の熟達化について検討している。本論文からは,旅行熟達者と旅行初心者とでは,その観光地に求めている経験が異なることが示唆される。このことを踏まえれば,各地方で行われているユニークなツアーの内容を,本論文で示された熟達化と照らし合わせて評価するなど,観光政策への応用可能性は高いと考えられる。また,本論文の知見を様々な旅行者(バックパッカーなど)へと発展させることも望まれる。本論文から得られる示唆は少なくない。そして何より,まずは自分が旅行熟達者になって,旅行の醍醐味を味わってみようかなという気になる。次の出張が楽しみである。
第一著者・林 幸史 氏へのメール・インタビュー