2016年にNHK BSプレミアムで放送された「フランケンシュタインの誘惑:人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験」(2016.7.28)に関連する情報をまとめたページです.内容は,三浦麻子(関西学院大学文学部;広報委員)が番組を見て独自に作成したもので,内容に間違いはおそらくありませんが,企画・制作者とのコンタクトや日本社会心理学会の学会によるオーサライズはありません.その旨ご承知ください.

フランケンシュタインの誘惑:人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験

//番組サイトからの引用ここから//
人類に功も罪ももたらす「科学」。その知られざる姿に迫る新番組。今回は、史上最も“残酷な心理学実験”と称される「スタンフォード監獄実験」に光を当てる。単なる「監獄ごっこ」が平凡な被験者を悪魔に変え、実験を指揮した心理学者自身も狂わされていった。非人道的な実験の倫理を巡る議論とその後、さらにアメリカ心理学会が「テロとの戦争」の中で犯した恐るべきスキャンダル!人間の心を科学する学問・心理学の闇に迫る―。
//番組サイトからの引用ここまで//

番組の概略

まず,1971年8月14日に2週間の予定で始まり,結果的には8月20日に中止された,スタンフォード監獄実験(Stanford Prison Experiment)が,当該研究プロジェクトの責任者だったフィリップ・ジンバルド氏(スタンフォード大学教授)らによる記録(Haney, Banks, & Zimbardo, 1973)に基づいて,時系列に沿ってほぼ忠実に紹介されました.

彼らがなぜこのような研究に着手するに至ったのか.それは「状況の力」への注目にありました.人の行動,あるいは人格に影響を及ぼすのは,個人の内的な気質ではなく,むしろどういう場(例えば,監獄)に置かれ,どういう役割(例えば,看守か囚人)を与えられ,どのような人々(例えば,他の実験参加者)が周囲にいるかどうかという「状況」であるという考え方です.

Haney, C., Banks, W. C., & Zimbardo, P. G. (1973). A study of prisoners and guards in a simulated prison. Naval Research Reviews, 9(1-17).

これは,現代の社会心理学の基本的なアイディアのひとつと言ってよい考え方です.番組では,関連する理論としてウォルター・ミシェルの「状況論」が紹介されたり,ジンバルド氏自身の出自との関連が(本人へのインタビューによって)語られたりし,日本の社会心理学者として森津太子氏(放送大学教授)がスタジオゲストとして出演され,コメントしておられました.ジンバルド氏は,ニューヨーク・サウスブロンクスのスラム街に生まれ,荒んだ状況が人を変える様を目の当たりにしてきたので,従来の心理学が個人の気質に固執しているように見えたそうです.なお,監獄実験と並んでショッキングな心理学実験として著名な服従実験(いわゆるアイヒマン実験)を実施したスタンリー・ミルグラムと彼は,同地にあるジェームズ・モンロー高校の同級生でもあります.ミルグラムの服従実験がナチスドイツのユダヤ人虐殺という歴史的事実に端を発したものであることはよく知られていますが,ジンバルドの監獄実験は,その後の歴史的事実と関わりがあるのではないか,という流れで番組は構成されていました.

ウォルター・ミシェル(詫摩武俊 訳) (1992) . パーソナリティの理論―状況主義的アプローチ. 誠信書房.(※彼の近著(翻訳)には「マシュマロ・テスト」もあります)

スタンリー・ミルグラム(山形浩生 訳) (2012) . 服従の心理. 河出文庫.

実験が始まってほんのわずかの時間しか経たないうちに,ただ「たまたま」その役割を与えられただけの参加者たちが,囚人は囚人らしく被虐的に,看守は看守らしく加虐的に変容を遂げていくさまを,驚きを持って見つめていたジンバルドは,見学に来た家族にそれを悟られまいとごまかしてまでも,実験を続けようとしたことが紹介されました.それを中止するに至ったきっかけは,当時恋人で,後に配偶者となった心理学者クリスティーナ・マスラックの進言でした.監獄の様子を興奮し,ほとんど嬉々として見守っていたジンバルドは普段の彼ではなく,またそれを嫌悪したと,彼女は正直に語っています.

社会心理学が「状況の力」を知ろうとする心と行動の科学である以上,人を実験対象とすること,そしてその人を置く状況を何らかの形で設定することは不可避です.自分が設定した状況によって人はこんなにも変わるのだ,というのを目の当たりにした時の興奮は,それが仮説として抱いた方向のものであれば特に,社会心理学者としては理解はできます(と,スタジオゲストの森氏も述べていました).しかしもちろん,興味関心のままにどんな状況でも設定してかまわないというわけではありません.スタンフォード監獄実験やミルグラムの服従実験をきっかけとして,アメリカ心理学会および世界の諸学会は研究者としての倫理綱領を明確に打ち出し,参加者の尊厳を傷つけてはならないという点が強く訴えられています.当たり前のことだろう,と思われるかもしれませんが,人は状況の力(だけ,ではありませんが)に確かに動かされるのですから,ルールを定め,それに則った研究のみを認めるという状況設定,つまり「倫理審査」システムが必要なのです.実際,世界の心理学界にこのシステムは実装されています.

河原純一郎・坂上貴之(編) (2010). 心理学の実験倫理―「被験者」実験の現状と展望. 勁草書房.

安藤寿康・安藤典明(編) (2011). 事例に学ぶ心理学者のための研究倫理【第2版】. ナカニシヤ出版.

スタンフォード監獄実験後の歴史的事実というのが,2004年に明るみに出た,イラク戦争において米軍が運営していたアブグレイブ刑務所で行われていた捕虜に対する激しい虐待や拷問です.全裸の囚人が折り重なっている横で笑顔でポーズを取る兵士など,たくさんのショッキングな映像が報道されたので,ご記憶の方も多いでしょう.これがまさに,ジンバルドの監獄実験での実験参加者たちの様子そのものだった,というわけです.ジンバルドも本件についてメディアで活発に発言していますが,TED動画(参考資料参照)がわかりやすいかもしれません.人間が悪魔のような所業をすることがある,という知見を,歴史的事実にもとづいて実験室実験で再現したミルグラムと,実験室実験で展開した有様が歴史的事実として生じたジンバルド.二人が高校の同級生だったというのは,やや「できすぎ」のきらいもあるくらい,象徴的なことに思えてしまいます.

番組はさらに,戦争と心理学の関わりについて論じ,中でもアメリカ心理学会(APA)が中央情報局(CIA)と内通して尋問(拷問)プログラムを設定していたというスキャンダルについて紹介しました.人の尊厳を守る綱領を謳っていた団体自身がそれに反する行動をとっていた,しかも当初はそれを否定していたのですから,ゆゆしき問題です.以下の時系列報告にあるとおり,2016年現在,まだこの問題は解決したわけではありません.

APAのCIA「スキャンダル」に関するAPA提供の時系列報告

とはいえ,戦争は人がおこすものである以上,心理学,特に社会心理学と無関係なはずがありません.番組中では第二次世界大戦中に心理学者が政府の委託を受けて戦争に協力していたことが語られていましたが,その後も,例えばアメリカのリーダーシップ研究はほとんどが海軍などの資金提供を得て,軍隊の現場を対象としてデータが収集されています.心理学を含む科学が軍事とどのような関わり方をするかは極めて難しい問題であり,日本学術会議「安全保障と学術に関する検討委員会」でも議論がなされていますが,少なくとも無関係ではないからこそ問題にもなるわけでしょう.

番組は,「心を解き明かすと人間は幸せになるのですか?」という疑問への答で結ばれていました.社会心理学者の森氏は「そう信じたい.しかし幸せに「できる」というのは傲慢で,それは結局人をコントロールするということ.幸せにするというより個人が自分は幸せだと思える生き方をできるようにいろんな知識を提供することが心理学の役目ではないか」とコメントし,ジンバルド氏自身は「実験をしたことをまったく後悔していません.私の監獄実験ほど社会的,心理学的,実用的な価値のある実験は後にも先にも存在しないのです」と語っていました.

両者の発言は対照的なように見えるかもしれませんが,実は通底するものは同じだと,私は思います.ただし,監獄実験のような手続きが必要な研究をするかと言われたら,否,と答えます.

参考資料

なお,番組ではほぼジンバルド氏が提供している資料のみで監獄実験について紹介していましたが,同様に,ただしジンバルド氏の主張とはやや異なる観点からこのテーマに光を当てようとした研究にThe BBC Prison Studyがあります.この研究プロジェクトを主導しているアレックス・ハスラム氏とスティーブ・ライヒャー氏による概論『社会心理学・再入門』(新曜社)も参考になるでしょう.

J. スミス・S. ハスラム(編)樋口匡貴・藤島喜嗣(監訳) (2017). 社会心理学・再入門―ブレークスルーを生んだ12の研究―. 新曜社.

Smith, J. R., & Haslam, S. A. (2012). Social psychology: Revisiting the classic studies. SAGE Publications.