208号「学術書を書く」

★本コンテンツは,日本社会心理学会会報 第208号に掲載されたものです.

エディトリアル

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尾崎 由佳

Publish or Perish. 「研究者として生き残るためには、成果を出版するべし。さもなければ消え去ってしまう」という恐ろしい予言である。この言葉を耳にするたびに、いわれようもない不安と焦燥感を抱く人も、少なくないことと思う。かくいう私も、そのひとりなのだけれど。

そんな私たちに救いの手をさしのべるかのように、先号の会報(2015年9月号)では、清水裕士先生および川本大史先生が、“論文を書く”ことをテーマに、そのコツを教えてくれる良書「できる研究者の論文生産術:どうすれば『たくさん』書けるのか」(Paul J. Silvia著)を紹介(「論文をたくさん書く」)してくださった。この特集を読んでさっそく実践に移しました!という声も聞こえてきており、広報委員会としては嬉しいかぎり。

その続編として、今回は“学術書の出版”をテーマとして取り上げたい。紹介するのは、その名も「学術書を書く」(鈴木哲也・高瀬桃子著、2015年9月、京都大学学術出版会)。この本の特徴は、なんといっても“編集者”が書いたという点であろう。「いかにして書くか」よりも、むしろ「いかにして読んでもらうか」にフォーカスし、その根本的な考え方とハウツーを丁寧に教えてくれる。

もちろん、たくさん書くことは大切だ。しかし、読んでもらえなかったら、意味がない。本書では「社会科学の75%の論文は1度も引用され(p.10)」ないという統計データが紹介されており、私は正直、とても悲しい気分になってしまった。せっかく書いたのになぁ。

近年、Publish and Perishの気運におされて多量の論文が出版されるようになった反面、その大半は読者の目にふれなくなった。また、電子ファイルがオンライン検索できるようになったことによって、急速に情報アクセシビリティが広がったものの、そこには思わぬ副作用が生じた。特定のキーワードをわざわざ検索しようとする一握りの特殊な(奇特な?)関心をもつ人々だけが互いの論文を細々と読みあうような、スモールワールドが各所にできあがってしまったのである。かつてのように、学術誌の紙面をめくっていったら面白そうな論文タイトルが目に留まるという“偶然の出会い”の場は失われ、スモールワールド間の壁を越境するチャンスは激減した。かくして、あなたの論文は茫洋たるデータベースの海に埋もれ、藻屑と消えてしまう――かもしれない。

著作が読まれていなければ、研究者としての評価にもつながらない。つまり、Publish AND Perish、出版しても消え去ってしまうことになりかねないのだ。しかし、だからといって私たちはPublishへの努力をやめるわけにはいかない。そんなことをしたら・・・恐ろしくて、あまり考えたくない。いったい、どうしたらいいというのだろう?

それならば、「Publishそのもののあり方を根本から見直して、真に意味のある出版をしようではないか(p.11)」というのが、本書の根幹をなすメッセージである。ただ量産するのではなく、質の良い、読み応えのある作品を作ること。そう、「たくさん書く」ばかりではなく、「たくさん読まれる」ことを目指すことが必要なのだ。

では、なぜ“学術書”なのか? “学術論文”ではダメなのか? メディアの電子化がすすんで紙媒体の出版そのものが危機に瀕している昨今、学術書を出すことに何の意味があるのだろう? という疑問を抱く方もいることだろう。その疑義に対して、このような時代だからこそ学術書の刊行が大きなメリットをもたらすと本書は主張する。それは、単に業績リストに華をそえるためではない。紙媒体ならではの特長を本書は多角的に論じているが、それらの詳細については第2章をぜひ一読していただきたい。

私自身が本書から読み取った内容から、学術書出版のメリットを端的に表現するとしたら、「幅広い人々を巻き込むことができる」の一言に尽きるのではないかと思う。多様な分野にたずさわる研究者がひとつの本を編むことにより、知的交流と研究発展が生まれる。専門的な勉強はしたいけれど学術論文にはちょっと手を出せないと思っている学部生が、図書館で気軽に読みふけることができる。本屋に並ぶ背表紙を眺めて、へぇ、こんなことが研究されているのかねと手にとってくれる人もいるだろう。それは隣接領域の研究者かもしれないし、もしかすると会社帰りのサラリーマンかもしれない。本書では「二回り・三回り外の読者」という印象的なフレーズで表現されているが、かならずしもあなたの専門分野に直接関与していない人々が、あなたの本を読むことになる。電子化された学術論文では到底起こりえない現象だ。雑誌論文のインパクトファクターがどうのこうのと言ってみても、それは狭い研究領域内の小競り合いにすぎない。学術書が研究者コミュニティー全体に、いや、社会全体に与える“インパクト”は、そんなものを遙かに上回っているはずだ。

――と熱弁してみたものの、そんなの当たり前だよねとおっしゃる方もおられるだろう。そのとおり。みなさんご存知のことである。多くの研究者が、学術書出版のメリットを重々に理解していることと思う。しかしながら、だからといって皆がみな出版に意欲的というわけではないのは、これいかに?

本を出したほうがいい、出さなきゃいけない、それはわかっているけれど、でもね・・・というのが正直なところではないかと思う。初めての著書出版というのは、どうしても敷居が高い。あまりに未知の世界すぎて、何をどうしたらよいのやら、全く見当もつかない。そこにためらいを感じている研究者が(私も含めて)多数いるのではないかと思う。

そんなあなたに、本書「学術書を書く」をぜひお勧めしたい。だれに、何を伝えるべく、どのように書くかという中心的問題から、章立てやコラム挿入・表紙や本文ページのデザインのしかたといった周辺的な(でも大切な)心遣いに至るまで、「読んでもらえる本」を作るためのコツが満載されている。これはまさに、編集者のプロ根性が詰めこまれているといっても過言ではない。本書を読んでいるだけで、いつのまにかイメージが膨らんでくるのが、これ不思議。あたかも自分が初めての著書を出版することになり、編集者に懇切丁寧に手ほどきをしてもらっているような気分になってくる。そして読み終わったころには、これなら出版できるかもしれないぞ?という妙な自信すら湧いてくる。つまり、著書出版のしかたがわからず途方にくれている私たちの背中をドンと押す役割を果たしてくれるのが、本書なのだ。

本来ならばここで、「私が学術書を書いてみました!」と体験記を綴るべきところなのだが・・・まことに申し訳ない。私自身はまだ出版経験が無く、語るべきものを何も持っていない。(よし書くぞ!という気合が入ったことだけはここに宣言しておいて、これから自分を追い込む算段である。)

そこで、ここから語り手をバトンタッチ。最近(2015年9月)初めての著書「レイシズムを解剖する:在日コリアンへの偏見とインターネット」(勁草書房)が刊行された高史明さんに、出版までの道のりについてインタビューをした模様を以下に報告する。

(おざき ゆか・東洋大学)

■「単著が出るまで」インタビュー

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高史 明

――単著出版おめでとうございます。どのような本か、ご自身で語っていただけますか?

高「在日コリアンへの偏見をあつかっていますが、『解剖する』というタイトルのとおり、現在起きていることを客観的に明らかにしたいというスタンスから書きました。テーマ的に生臭い問題なので、イデオロギー間の争いにならないように、できるかぎり客観的になるよう心がけました。心理学者には敬遠されがちな問題かもしれないのですが、敢えてこのようなテーマを扱ってみたいという意欲的な人たちのために、参考になったらと思います。」

――この本を出版することになったきっかけは?

高「出版社の方が、ツイッターで以前からフォローしてくれていました。その後、ある研究会での発表を聴きに来てくださり、『博論を出したら出版しましょう!』と言ってくれて。結局、そのあと3年かかってしまったのですが、ずっと待っていてくれました。こういうパターンはめずらしいと思うので、あまり参考にならないかもしれませんが・・・」

――どのような人たちに読んでほしいと思いますか?

高「まずは社会心理学者に読んでほしいです。あまり人がやりたがらないテーマなのだけれど、これを読んで関心をもって、どんどん研究を進めてくれる人が出てくるといいなと。あとは学生ですね。学術書はけっこう値段が高いものですが、この本はできるかぎり印税分を低くして、学生さんにも手がとどくお手頃な値段設定にしました。だから僕は儲かっていません(笑)」

――出版後、どのような反響がありましたか?

高「心理学関係者から、かなりよい評価をもらっています。難しいテーマにもかかわらず科学的に取り組んだ姿勢を評価してくれたみたいです。それに、メディアや出版社からのアクセスが多くなりました。メディアの反応は、真面目なものが多いですね。偏見問題を煽るものにしたくないという姿勢を尊重してくれたと思います。在日コリアンの方々の中には不快感を覚える人がいるかもしれないと心配していたのですが、予想に反して、好意的に受け止めてもらえています。自分たちをとりまく得体のしれない状況が少しわかってくると、不安がおさまるというか。そういう点で評価してもらったことも嬉しいです。」

――出版にあたって、工夫された点は?

高「博士論文を本にしたのですが、論文の内容だけだと一般の人にはとっつきにくいので、導入部分をつけくわえました。興味を持ってもらえるように、わかりやすく、でも学術的な格調を保ちつつというのが難しかった。今回、一番難しかったところかもしれません。あとは、外国人名をカタカナ表記にするのが大変でしたね。発音のしかたをひとつひとつ調べてくれた友人がいて、とても助かりました。本の表紙も友人たちにつくってもらいました。タイトルを『解剖』としていますし、メスとかをあしらってクールな感じにしたいなぁと言ったら、友人のひとりがイメージ画像を作成してくれて、もうひとりが装丁をしあげてくれました。仕上がりは、自分が漠然とイメージしていたものがそのまま形になったようで、ものすごく気に入っています。自分の部屋に飾っているくらい(笑)」

――質問の角度を少し変えますが、本書のテーマとなった研究をはじめたきっかけは?

高「子どものころにさかのぼりますが、引越しが多くて、転校先でいろいろ攻撃されまして。自分の名前から在日(コリアン)と間違えられることがあって、そういう問題があるんだなということを、子どものころから身に染みてわかっていました。でも、そのころはそれを研究しようとは考えていませんでしたね。大学で心理学の道に進んで、地下の暗い研究室に籠っていたころに、外の世界を感じようとおもってインターネットにアクセスすることが多かったのです。すると、在日に対する反感が過熱してきているなと感じて。まわりにもネット上の言説に影響される人々がでてきたこともあり、これは良くないことが起こりつつあるなという印象を受けました。少しずつ文献を調べていったりすると、日本ではほとんど研究されていないことがわかりました。最初は潜在的偏見に興味をもっていたのですが、それ以前に、顕在的偏見の国内データがぜんぜん足りてないなと。日本の話をしたい、それならまず顕在的偏見をきちんと調べないといけないと思って、質問紙調査からスタートしました。それが2008年ごろです。」

――研究遂行にあたって、工夫された点や、苦労された点は?

高「苦労というか、いろんな面で未熟さがあったなと思います。あらかじめビジョンがあれば、計画的にデータをとれたのでしょうが、あっちいったりこっちいったりと迷いがあって、使えないデータをとってしまったり・・・でも最終的には、筋の通ったものにまとまったと思っています。時間をかけただけのことはあったと思う。そのあいだ支え続けてくれた妻(雨宮有里)への感謝の気持ちでいっぱいです。そして友人や先輩たちにも随分助けられました。ツイッターを通じて知り合い、支えてくれる人もたくさんいました。でも、いろいろ批判も受けました。テーマ自体が政治的に偏向していると見られたり、科学者としての立場を損なっていると言われたりして。このテーマは自分には重すぎるように感じて、けっこう後悔することもありました。もっと初めから信念をもってガシガシやっていたら、もっと早く仕上がったのかもしれません。ただ、2013年(「在日特権を許さない市民の会」の活動が盛んにニュース報道に取り上げられた)あたりから社会的関心が高まってきて、こういう研究の必要性が認識されるようになり、少しやりやすくなった感はあります。でも、それは社会情勢が悪化しているということなので、いいことではありません。だから、自分の研究が必要とされているということを、喜んではいません。でも、誇りは持っています。

――これからの研究や執筆活動の展望は?

高「いま、新書執筆の依頼がきています。本屋でこの本を見つけた出版社の人が、声をかけてくれました。新書ですから、さらに一般向けになりますが、筆致はこのまま、客観的でクールな感じでいきたいと思います。自分自身の研究だけではなく、最小集団パラダイムとか、広い研究文脈から偏見にかんする知見を紹介したいです。今後の研究活動では、この本では明らかにできなかったことがまだあるので、それを追っていきたいです。また、これまでの研究から、デマとか流言の重要性に気付かされたので、それに関する計画も立てています。」

――最後に、これから学術書出版を考えている方々への応援メッセージをお願いします。
高「研究者としての評価は査読論文でなされるべきだと思うけれども、学術書ならではの良さも沢山あると思います。たくさんの研究をもりこんで、ひとつのストーリーを描き出すというのは、文字数の制限の緩い本だからこそ出来ること。あとは、学者だけではなくて一般の人にも、研究を知ってもらうことができます。本屋に並んだり、Amazonに表示されたりして、たくさんの人の目にふれます。研究を社会に還元するために、本というのは良いツールだと思います。」 

(たか ふみあき・神奈川大学)

――大変貴重なお話を伺うことができました。高さん、ありがとうございました!